自分を縛るのは自分
「これはしてはいけないこと」そう自分で思っていることも、あの子は平気でそれができたりするし、他の地域ではむしろ奨められていたりすることを考えると、「してはいけない」というのは自分が作り出すルールなのかも知れない。
「恥ずかしくてできない」とか、「普通、それはしないからしない」といったものも同じ類で、自分が作り出したものなのかもしれない。
ども、こっぺだ。いつもはDiXitのカードの背景物語を創造しているが、今回は、DiXitのカードから得た(引き出された)持論を展開していきたいと思う。
つかみの文のような着想を得たエピソードは以下に記載。
僕と友達は街を歩いていた。すると友達は、お腹が痛くなりトイレに行きたくなった。
僕があたりを見渡すものの、トイレがありそうな施設はないので、僕が目の前のラーメン屋に入ることを勧めると、友達はこう言った。
「そんなことできない。そしたらなにかを注文しないと」
僕にはそんな考えはなかった。腹が痛いと言えばどんな店だろうとトイレを貸してくれるだろうし、別に何も注文しなくたって問題はない。僕はそう思った。
このエピソードから「自分が、してはいけないと思っている」ことや「恥ずかしい」と思っていることって、案外他人からみたらそんなことなかったりするんじゃないかと思いました。その上、恥ずかしいという感情は世間体を意識した感情なので、結構無駄なんじゃないかなと思いました。