Koppe’s diary

こっぺが思ったことを書いたり、物語を作ったりするぶろぐです。

生きることは目的であり手段ではない。よって「何のために生きるか」と問うのは誤りである。

ども、こっぺだ。

 

今回は「生きることの目的」という誰しもが考えるテーマについてのこっぺの意見を提示していく。「生きる目的とはなにか」を議論する前に、まずは「生きることに目的はあるか」の議論をする。

 

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Ronten   生きることに目的はあるか

 

単刀直入に言うと、僕の考えは「生きることに目的はない」だ。

 

なぜなら、生きることは元来、生物にとって目的だったはずだからだ。

 

生きとし生けるもの、生物にとって生きることは最高次の目的である。

 

そして「何のために?」という目的を問う質問ができるのは、その対象が手段のときだけだ。

 

そして、目的は手段になりえず、目的に目的がある場合それはその次の目的を達成するための手段である。

 

理解しがたいかもしれないので簡潔にまとめると

 

最高次の目的に目的はない

 

ということである。

 

概念のみでの説明は飲み込みにくいので、具体例を挙げる。

 

 

illustration  最高次の目的に目的はない

 

記者がストレッチをするマラソンランナーに質問をする。

 

 

記者「何のためにストレッチしているんですか」

 

ランナー「いい走りをするためですよ」

 

記者「何のためにいい走りをするんですか」

 

ランナー「そりゃ早くゴールするためですよ」

 

記者「何のために早くゴールするんですか」

 

ランナー「それは、応援してくれる人の期待に応えたり、達成感を得るためですよ」

 

記者「何のために人の期待に応えたり、達成感を得るんですか」

 

ランナー「えぇと、期待に応えることができるって嬉しいじゃないですか」

 

記者「何のために嬉しさとか達成感を得るんですか」

 

ランナー「えぇっと、それは、、、それに目的はないですよ」

 

 

「なんてしつこい記者なんだ」ランナーはそう思ったに違いないですねw。それは置いといて。

 

つまりランナーは喜びを得るために走っているのである。

 

だから、「何のために喜びを得るか」という問いの答えはないし、その質問自体が誤りなんです。

 

 

Answer 「何のために生きるか」と問うのは誤り

 

初めに述べたように、生きることは生物にとって最高次の目的だと思うので、生きることに目的はないし、生きる目的はない これが僕の答えです。

 

 

ご視聴ありがと。

 

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