「あなたが努力できたのは、あなたの遺伝子のおかげ」なのか。
ども、こっぺです。
今回はこのことに対して、考えを巡らせていきたいと思います。
・「あなたが努力できたのは、あなたの遺伝子のおかげ」なのか。
ずばり、私の考えはこうだ!と主張するのには少し難しすぎる議題なので、少しずつ簡単なところから考えていきたいと思います。
こんな例を考えてみよう。
A子とB子がいる。
ふたりはどちらも宿題をやるのを面倒くさいと思っていて、その日も宿題には手をつけていなかった。
しかし提出日の前日になると、A子は大急ぎで宿題を済ませた。B子はその日も宿題をやらなかった。
簡単に書くと、「A子もB子も宿題をやるのは嫌いなのに、A子は努力をして宿題を提出できたが、B子はそれができなかった。」わけだ。
結果だけを見ると、「A子は努力ができる子。B子はできない子」と取れるかもしれない。
しかし、この例にはある大事な要素が抜けている。
そう。動機だ。なぜA子は嫌いな宿題をやったのか。逆になぜB子は宿題をやらなかったのか。
・努力の背景には理由がある
例えば、A子の両親は褒め上手で、A子が期限までに宿題を済ませると、毎回ケーキを買ってくれるとしよう。A子はケーキが大好きだ。だから宿題をしてケーキをもらおうと考えたのだ。
こういう背景が現れると、さきほどの結論「A子は努力ができる子。B子はできない子」には行きつかないだろう。ただ単に、二人の間で「宿題をする」ということの価値がちがっただけだ。
このことから考えて、
「努力ができる」ということには、その周りの環境も影響を与えていることが分かる。
・努力遺伝子
こんな例を考えてみよう。
C子は努力するのが大好きだ。D子は嫌いである。
ふたりにそれぞれが嫌いなことを与え、それができると報酬を与える。
C子は率先して嫌いなことをやり遂げ、報酬を受け取った。
D子は嫌いなことはしたくないので、ごろごろゲームをしていた。
この場合、「C子が努力できたのは、C子の遺伝子のおかげである」そんなことがいえそうである。
C子は自分の意志で「努力するのが好きな私」を作り上げたわけではないからだ。
もちろん、C子が幼少期のとき、努力をするとまわりの大人から褒めてもらい、努力が好きになったのかもしれない。ただ、その場合にもC子は「努力するのが好きな私」を自ら作り上げたとはいえないだろう。
このことから考えて、
「努力ができる」ということには、遺伝子も影響を与えていることが分かる。
・「あなたが努力できたのは、あなたの遺伝子のおかげ」なのか。
さぁ、本題だ。
これまでの議論から、その本人が「努力できるかどうか」には、本人のまわりの環境や遺伝子が影響していることが分かった。
しかしだからといって、「あなたが努力できたのは、あなたのまわりの環境や遺伝子のおかげである」と議論を飛躍させてはいけない。
問題は、「あなたがもぎ取った努力はあるのか」ということだ。
問題は、「あなたが努力できた場合、それはあなたが努力できる遺伝子を持ち合わせていたからだし、あなたが努力できなかったのは、それを持ち合わせていなかったからだよ」という論理を否定できるのか ということだ。
ここまで長く書き連ねてきたが、今のこっぺにはここより先に議論を進めるだけの知恵や考え方を持ち合わせていない。。。。。。
ここまで読んでくれた方の、意見をぜひ聞いてみたい。
コメント、 まってます。。。
なんか尻すぼまりですまぬ
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