天と地のコンパス
「北の扉を開くとそこには天国が、南の扉を開くとそこには地獄が広がっている。
扉を開けたら最後、もう引き返すことはできない。」
魔女サリヌバスはガラス張りの部屋から、下にいる二人の恋人を笑う。
「きゃっきゃっきゃぁー。
さて、選びなさい。あなたたちの運命を。」
少女マリアは、青年カントの左腕を、両手でがっしりとつかむ。
二人の目の前と背後には、黒々しくおおきな扉が立ちはだかっている。
「北はどちらだ」
カントは首をまわして、交互に立ちはだかる扉を見る。
マリアはカントの体に寄りかかっていて、立っているのが精一杯だ。
「分からない。」
カントが言った。その表情は険しかった。同時にたくましくもあった。
「ねぇカント。私のペンダントを開けてみて」
震える声が言う。
カントがマリアのペンダントを開けてみると、それはコンパスだった。
「私、最後の最後で役に立てたかな。」
マリアがカントの顔を見上げる。
これがあれば、どちらが北か分かる。カントはそう思った。
そう思った矢先、ボォオン!という音とともに、ピンクの煙がコンパスから出た。
「許さんぞ。そのような他の知恵を拝借して運命を導くなどといったことは」
サリヌバスは声を荒げて言った。
そう。サリヌバスの魔法によって、そのコンパスはどちらが北を指し、どちらが南を指すかが分からなくされてしまったのだ。

くそぉ。魔女サリヌバス。せっかくマリアがもたらした希望を。
「さぁ。選べ。君たちの運命を」
鼓動が速まる。
マリアはよりいっそう強く、カントをつかむ。
「カント、あなたが決めるのよ」
マリアは強い声で言った。
「あぁ」
カントは右腕をマリアの背中にまわし、マリアを強く抱きしめる。
「なにを見せられてるんだか。これだから人間は」
サリヌバスはたばこをふかしながら言葉を吐き捨てる。
少しの時が経ってから、ついにカントが口を開いた。
「このままでいい」
「なぬ」
思わずサリヌバスはくわえていたたばこを捨てて、身を乗り出した。
「このまま。現実のままでいい。僕らは二分の一にかけられるほど、軽くない。
だったら、今を、100%の今を僕たちは選ぶよ」
透き通った、さわやかな声だ。
「がぬばぁるぅうううう」
サリヌバスの体が透けて無くなっていく。
2つの扉も、無くなっていく。
「そんなぁ。そんなぁ」
魔女サリヌバスは必死に現実にしがみつこうとした。
しかし、それは儚くも消えていった。
扉の向こうは両方とも地獄であった。
取り残されたのは、現実という名の扉を拓いた、二人だけだった。