Koppe’s diary

こっぺが思ったことを書いたり、物語を作ったりするぶろぐです。

桜、舞う

桜舞う

 

花びらとその影が

離れたり

遠ざかったりしながら

 

桜舞う

 

たったひとりのさみしさを

紛らわすように

搔き乱すように

 

桜舞う

 

みんなみんな楽しげだ

だけど、みんなみんな落ちていく

互いの手をつかんでは離れ

追いかけては逃げられ

 

桜舞う

 

季節と風にそそのかされて

 

桜舞う

 

桜、舞う

「日本にとっての自由」とは何か。

ども、こっぺです。

今回は「自由」についての僕の考えを書いてみました。

インスパイアされた記事が、内田 樹さん(哲学者、武道家)のこちらの記事です。

以下の4つのトピックに分けて考えを展開していきたいと思います。骨太!

*ここで言う日本人や西洋人とはそのうちの多くの人という意味で、全員という意味ではありません*

*こぺおとはこっぺのことであり、明確な使い分けはありません*

・そもそも日本人に自由という言葉は根付いていない

・日本人が求めているのは、「自由」ではなく「調和」

・日本人は自由をアピールしてしまう

・総じて こぺおの考え

 

 

 

・そもそも日本人に自由という言葉は根付いていない

 

自由の意味は、何からも束縛を受けずに自分の意思に従っていることです。

ですが日本は西洋に比べて自由が奪われている状態というのが少なかったので、国民が西洋ほど「俺らは自由に生きる権利があるんだ!」みたいに白熱しなかったんですよ。西洋では奴隷制がありましたから、自由に生きる権利を熱心に追い求めたんですね。

こういう歴史的背景により、日本には自由という言葉があまり根付いていないんです。

 

 

・日本人が求めているのは、「自由」ではなく「調和」

 

その上、日本は島国ですから、相手とうまくいかないとまずいんです。

「気に入らなかったらすぐに関係を断つ」みたいなことができるのは広大な土地を持った国の人々で、日本はそうではないですから、村やご近所付き合いを大事にしていかなければいけない国だったんですよ。

だから、国民は「自分の意見を好きに主張する自由」よりも「お互いが納得のいく答えを探る調和」を求めたというわけなんです。

 

 

・日本人は自由をアピールしてしまう

 

西洋人は、自由を見せつけたいから自由な行動をするわけではなく、「自由に生きること」それが幸せだと思うから自由に行動するんですよね。

ですが日本人は「自由でいること」、「周りの大多数の普通とは違っていること」を見せつけるために自由な行動をしている気がするんです。

「みんなができないことを堂々としてる私ってすごいでしょ?」みたいな。

それは自由を求めた自由ではなく、他との類似を避けた自由であり、不自由であるような気がするんです。

自由な行動をするときに、周りの反応や評価を考えてしまうから、素直にふるまえない。

もちろん、そうではない方もいると思いますが、僕はそんな風に見えてしまいますし、僕も実際そうです。

なにか他の人とは違う自由なことをするときに、「あれ、これって大丈夫かな 怒られたりしないよね」とか考えちゃったりするんです。

 

「周りとは違って僕は自由に生きてます」っていう不自由をアピールしている感じです。

 

 

・総じて こぺおの考え

 

自由を発揮するときに、「私って自由よ」っていうことを考えている時点で真の自由とはすこしずれちゃうのかなって思います。ラフな自由ではなく、硬い自由とでもいいましょうか。

真の自由は、それさえ考えない。自由が堂々と自由でいるときは、自分が自由だってことすら気づかない。そんなイメージがあります。

日本人は周りの目を気にしたり他者を慮ることをよくしますから、そういう意味では、自由を発揮することが苦手な人種なのかもしれません。

 

 

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継続は継続を手助けする

「1日だけならできるけど、毎日やれと言われると続く気がしない」

 

こんな経験、ありませんか?

 

しかし実は次のことを考えると、難しそうと思っていた継続も「できるかも」と思えるようになるでしょう。

 

 

継続は継続を手助けする

 

これは、継続することによって、「継続してきたんだから今日もしっかりやろう」という心理が働いて継続がしやすくなる(やめにくくなる)ということです。

 

自分は英単語を毎日200語音読しています。

 

これも「うわぁ、もう12時だし 英単語やりたくないなぁ」という日があるのですが、「いや、ここまで毎日やってきたんだから今日で終わらせるわけにはいかない」という心理が働いて継続することができているんです。

 

身近な例を挙げると、

あなたはUFOキャッチャーに400円投入してしまったものの、取ることはできませんでした。もう100円入れたくなってしまいますよね??

 

これが継続は継続を手助けする ということです。

 

 

 

 

 

このことを使って、なにか継続してやってみたいけど手を出せていないものにぜひ挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢は抱かなければ叶わない

夢は抱かなければ叶わない

 

どんなに遠くとも、どんなに大きくとも

 

どこかに夢を抱かなければ

 

夢は叶わない

 

それは宝くじと似ている

 

買わなければ当たらない

 

ただ、買えば当たるというわけではない

 

 

こどものころの将来の夢を

 

叶えられなかった大人たちは

 

こどものころの自分に会ったら

 

どんな話をするんだろう

 

どんな言い訳をするんだろう

 

僕には自信がある

 

こどものころの自分に会って

 

胸を張って笑える自信が

 

僕にはある

 

僕にはある。

 

 

 

 

 

 

 

こっぺ 作

 

 

 

 

 

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老いは心から始まる

老いは心から始まるのか体から始まるのか。

 

こっぺの考えは 心から だ。

 

「動きたくないなぁ」「外に出たくないなぁ」そんな思いが芽生え始めたら、老いが始まったサインだろう。

 

「まず心が老い、体を動かさなくなり、体が老いる」この順番だ。

 

いいや、逆だ。「人間は体が老いて、動くのが苦になって心が老いていくのだ」と主張する人もいるだろう。

 

しかし、この順番で老いが進行するというのならば、おかしいことが起こる。

 

この場合、初めの段階、体が老いてしまった段階では心はまだ老いていない。

 

それにも関わらず、「動くのが苦になって」という表現がでてくるのである。

 

これは、例えば、「公園に行きたいのに、体が嫌がって行かない。」こういうことである。

 

こんな経験をこっぺはしたことがない。

 

どんなに筋肉痛がしても、ボルダリングをしたいときはしに行く。

 

皆さんもそうではないだろうか。

 

 

心の言うことを体は聞いてきたのではないか。

 

体は「心に忠実な奴隷」だったのではないか。(時に歯向かうこともあるが)

 

だから、体が心の言うことをはねのけて、主導権を握ることはない。

 

つまり、体がなにか行動の指針となるようなことを指示することはないのだ。

 

f:id:Koppe:20210317231800p:plain(尾井 大一の甥)

 

だから、心が老いなければ、老いが始まることはない(もちろん、身体能力の低下はあるが)

 

 

どんなに体が重く、古くなっても、それを引っ張っていけるだけの心を捨てずに残しておくことが大事である。

 

 

いじょう。こっぺでした。

 

 

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【壁登り塾】 壁の登り方講座

ども、こっぺです。

 

壁、登ってますか?登れずに困ってますか?それとも、登れるは登れるけど、もっといい登り方がないかと模索していますか?

 

そんな皆さんのために、今回はこっぺ流の壁の登り方を伝授したいと思います。

 

f:id:Koppe:20210316152408j:plain

 

 

・ファーストステップ   「手をかける」

 

手をかけるところから始まります。手を伸ばしても届かない場合はジャンプしましょう。

 

なるべくがっしりと、自分の体が持ちあげることができるように掴みましょう。

 

 

・セカンドステップ  「体を持ち上げる」

手がかかったら、懸垂をするような感じで自分のからだを上にあげます。

 

これが終わると、下図のような体勢になります。

f:id:Koppe:20210316150943p:plain

こうなったら次のステップです。

 

 

・サードステップ   「片足をかける」

 

片足のかかとを壁にかけます。どちらの足でも構いません。かけやすい方の足をかけてください。

 

 

・ホームステップ  「手と足の力で体を起こす」

いや野球のベースやったんかい!

両手と先ほどかけた足を使って体を起こします。

 

これで完了です。

 

 

 

 

 

いかがだったでしょうか。

 

「俺はいつもこうやって登ってるよ」などの意見がありましたらコメントを!!

 

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数学&嫌いなことへのアプローチ法   を語ってみた。

ども、こっぺです。

 

皆さんは数学は好きですか?

 

僕は大好きです。中学のときは「得意だなぁ」と思うくらいでしたが、高校に入ってからもっと数学が好きになりました。

 

最近は問題を作ることにはまっています。外部からの刺激を受けると、それを「こうしたらどうなるんだろう」とか「こうしても成り立つのかな」とか「この値は答えにはならないけどなにを意味する値なんだろう」とどんどん考え始めて止まらなくなります。

最終的に一つの真理に辿り着くと、今度はその真理を使った問題を作り始めます。

シンプルな問題がまずできると、それを複雑にしていきます。そうしてようやく一連の数学ムーヴが完結します。

 

数学は、学習を進めていくと、昔できなかったことができるようになることがあって、それが楽しいですね。逆に、いままでの知識を使って、新たな定理を証明する、これも楽しいですね。

 

僕にとって数学は教科ではなく趣味になっています。

 

「やらなければならないこと」から逃げ続けるのは大変です。

しかし、それを「やりたいこと」に変換してしまえば、それをするのが楽しくなります。だから、どんなことにも多角的にそれを見ることで、「あ、これ楽しいかも」を発見する能力は大事ですね。

 

あなたも日々のなかに隠れている「あ、これ楽しいかも」を見つけてみてください。

 

 

こっぺより。

 

 

 

 

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「あなたが努力できたのは、あなたの遺伝子のおかげ」なのか。

ども、こっぺです。

今回はこのことに対して、考えを巡らせていきたいと思います。

 

・「あなたが努力できたのは、あなたの遺伝子のおかげ」なのか。

 

ずばり、私の考えはこうだ!と主張するのには少し難しすぎる議題なので、少しずつ簡単なところから考えていきたいと思います。

 

こんな例を考えてみよう。

 

A子とB子がいる。

ふたりはどちらも宿題をやるのを面倒くさいと思っていて、その日も宿題には手をつけていなかった。

しかし提出日の前日になると、A子は大急ぎで宿題を済ませた。B子はその日も宿題をやらなかった。

 

簡単に書くと、「A子もB子も宿題をやるのは嫌いなのに、A子は努力をして宿題を提出できたが、B子はそれができなかった。」わけだ。

結果だけを見ると、「A子は努力ができる子。B子はできない子」と取れるかもしれない。

しかし、この例にはある大事な要素が抜けている。

そう。動機だ。なぜA子は嫌いな宿題をやったのか。逆になぜB子は宿題をやらなかったのか。

 

・努力の背景には理由がある

例えば、A子の両親は褒め上手で、A子が期限までに宿題を済ませると、毎回ケーキを買ってくれるとしよう。A子はケーキが大好きだ。だから宿題をしてケーキをもらおうと考えたのだ。

こういう背景が現れると、さきほどの結論「A子は努力ができる子。B子はできない子」には行きつかないだろう。ただ単に、二人の間で「宿題をする」ということの価値がちがっただけだ。

 

このことから考えて、

「努力ができる」ということには、その周りの環境も影響を与えていることが分かる。

 

・努力遺伝子

こんな例を考えてみよう。

C子は努力するのが大好きだ。D子は嫌いである。

ふたりにそれぞれが嫌いなことを与え、それができると報酬を与える。

C子は率先して嫌いなことをやり遂げ、報酬を受け取った。

D子は嫌いなことはしたくないので、ごろごろゲームをしていた。

 

この場合、「C子が努力できたのは、C子の遺伝子のおかげである」そんなことがいえそうである。

C子は自分の意志で「努力するのが好きな私」を作り上げたわけではないからだ。

もちろん、C子が幼少期のとき、努力をするとまわりの大人から褒めてもらい、努力が好きになったのかもしれない。ただ、その場合にもC子は「努力するのが好きな私」を自ら作り上げたとはいえないだろう。

 

このことから考えて、

「努力ができる」ということには、遺伝子も影響を与えていることが分かる。

 

 

・「あなたが努力できたのは、あなたの遺伝子のおかげ」なのか。

さぁ、本題だ。

これまでの議論から、その本人が「努力できるかどうか」には、本人のまわりの環境や遺伝子が影響していることが分かった。

しかしだからといって、「あなたが努力できたのは、あなたのまわりの環境や遺伝子のおかげである」と議論を飛躍させてはいけない。

問題は、「あなたがもぎ取った努力はあるのか」ということだ。

問題は、「あなたが努力できた場合、それはあなたが努力できる遺伝子を持ち合わせていたからだし、あなたが努力できなかったのは、それを持ち合わせていなかったからだよ」という論理を否定できるのか ということだ。

 

 

ここまで長く書き連ねてきたが、今のこっぺにはここより先に議論を進めるだけの知恵や考え方を持ち合わせていない。。。。。。

 

ここまで読んでくれた方の、意見をぜひ聞いてみたい。

 

コメント、  まってます。。。

 

なんか尻すぼまりですまぬ

 

 

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皆さんはどっちですか?僕は微分の方が衝撃を受けました。

ども、こっぺです。

 

皆さんは微分積分を覚えていますか?

僕はまだ高校生ですから、高校の範囲の微分積分しか触れていないですが、

微分を習ったときは衝撃を受けました。

だから今日は高校の範囲だけですが、

僕が感じた微分のここがすごいを紹介します!!

 

 

微分とは?

微分とは数学的にいうと関数の導関数を求めることで、砕けた表現をすると関数の傾き早見表を作ることです。

例えば、y=4x の傾きはどこでも4ですので、これを微分するとy=4 となります。

 

y=x^2+4x+5 の二次関数は、平方完成すると

y=(x+2)^2+1 だから、x=-2のときに放物線の頂点をとりますね。

放物線の頂点のときの傾きは0ですね。だから微分したものにx=-2を代入するとy=0になるはずですね。そして頂点より右にいくと傾きはどんどん大きくなっていきます。左にいくとどんどん負に大きくなっていきます。そしてその増え幅は左右対称ですね。

このグラフを微分すると、y=2x+4 となり、x=-2 を代入すると0になり、それより右に行ったときの傾きの増え幅と左に行ったときの傾きの増え幅が同じですね。

 

そうです。微分とは傾き早見表なんです。

 

 

微分のなにがすごいの?

今、「どうやって微分するのか」は書いてないですが、やること自体は小学生でもできるような簡単な動作なんです。

そして、その簡単な動作によって、傾きが一目でわかってしまうグラフが出来上がってしまうのが素晴らしいんですよね。

確かに、積分もすごいんですよ。同じく簡単な動作によって、とても求められそうもない面積が分かってしまうから。しかし僕は積分を習ったとき、「そんなとこの面積分かるのすごいけど、今まで一回もそんなとこの面積知りたいと思ったことないしなぁ。」と感じてしまいました。

ただ微分は、いままで習ってきた関数を深めるもので、関数の「傾きの関数」があってもいいなって思えたんですよね。「なんでこれ思い浮かばなかったんだろう」みたいな。

 

 

そんな衝撃を受けたので、僕は微分の方が素晴らしいと思いました。

 

僕はまだ高校の範囲の彼らしか知らないので、「発展していくともっとここがすごいよ!」っていうのがあったらコメントをよろちくわんこ~。

 

 

 

 

次は対数のここがすごいも語りたいな。。。

 

 

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なにもしなくていい朝。わくわくしながら目を覚ます朝。

世は春休み。

 

起きて20分で慌てて家を出なくていい朝。

 

寒いなんて感想をこぼす暇もなく自転車を駅まで走らせなくていい朝。

 

満員電車につぶされなくていい朝。

 

なにもしなくていい朝。

 

なにもしなくていい朝。

 

なにもしなくていいから、なんでもできちゃう朝。

 

さぁ今日はなにをしよう と胸がわくわくして

 

自然と目が開いていく朝。

 

カーテンを開くと

 

シャーという音とともに光の粒々が体の中に入ってきて

 

それがこころのなかにも入っていくような気がして

 

力がたぎる朝。

 

なにもしなくていい朝。

 

わくわくしながら目を覚ます朝。

 

 

 

 

作詞 こっぺ

 

長い休みが始まる朝を描いてみました。

 

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